潜入

 前方警戒班になった学生が地図とコンパスを使って進路を決めていく。
数名の同行助教らはもちろん最短潜入ルートを知っているが学生が間違えても、遠回りしても何も言わない。
自分達で経路を決め、作戦を遂行するための拠点まで潜入する。
登ったり下ったり、いくつもの山を越えていく。
できるかぎり山の尾根を通っていくが、時には茨や倒木だらけの谷を通らねばならない場合や、片側が急斜面で危ない場所もある。
這うようにして登らねばならないような斜面が続くと一気にばてる。
下りが続くと膝がガクガクになってしまう。
20kgほどある背のうと64式小銃が肩に食い込んでくる。
50kgほどある資材もあり、これは交代で担ぐ。
時間が経つにつれ、感じる重さがだんだん増してきた。
次第にいろんなことを考え始め、神経が過敏になってくる。
喉が渇く。汗が目にしみる。呼吸がつらい。足が重い。
少しでいいから休憩がほしい。
今座ることができるとしたら、どれだけ楽なことだろう。
人間の心は肉体的苦痛に弱い。苦痛から逃れられるならこの命を捨ててしまっても良いとさえ思う。
谷底にちらっと目をやる。
『ここから落ちれば楽になれる』
一瞬そんな考えがよぎることもあった。
だが岩にけつまずいた時、転ばないようにパッと足が前に出る。
足が滑ったら草や枝など、この手は何でも掴もうとする。
からだは反射的に身を守る。からだは最後までそうするのに人間の心とは危ういものだ。やっかいな代物だ。
平時の楽な時はどんな立派なことでも言ったり、できたりする。
だがその行いや考えが本物かどうか、真意が何かは、限界を超えた極限状態になれば分かる。
そこは現実がむき出しになった超リアルな世界だ。
その時は人間の本性が出る。いろんな理屈をつけて普段見ないようにしているもの、抑えているものが目の前に出てきてしまう。極限状態では命がかかっている。したがって人間は自分の身を守ることを第一に考える。ときに見境なく。敵と対峙した時などそれが正解の時もあるだろう。
しかし、レンジャー訓練では仲間がいての自分の命だ。一人で成し遂げられるような任務ではない。本性に自分を委ねてそれで事足りるのなら何のための訓練であり、規律だろうか。それではただのゾンビの集団だろう。
極限状態では無意味な屁理屈やあきらめるための言い訳をやめて、とにかく思考停止に陥らず何が最適解かを思案し続けることが必要だ。
劣勢を覆せ、まずは自分の心からだ。任務を終わらせるしか脱する方法はない。歩き通すしか帰る道はない。
苦痛や疲労に負けそうになる心に打ち勝ち、すべてを成し遂げて帰るんだ。
一緒にがんばっている素晴らしい仲間がいる。
つらいのは俺だけじゃない。こっからがレンジャーだ。
自衛隊でよく使われる言葉の、深い意味を噛み締めていた。
『俺を見よ、俺に続け』
なんてすごい言葉だ。
何度もその言葉を自分に言い聞かせていた。



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