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10月, 2014の投稿を表示しています

46kmサイクリング

自宅とある目的地との往復46kmを自転車(ママチャリ)で行ってみた時のこと。前回は徒歩だったが自転車で行った場合はどんな感じかやってみた。市街地や用水路沿い、国道、河川敷を走った。行きは2時間、帰りは緩やかに登っているため3時間かかった。早朝に出発して昼には帰宅した。 自転車で行った感想はとにかくお尻が痛かったということ。1時間も乗っているとヒリヒリしてきて苦痛だった。ママチャリだからしっかりサドルに体重がかかるのが原因だろう。 服装は作業ズボン、Tシャツ、デニムシャツ、サングラス、普段履かない靴底の減ったボロ靴。持ち物はリュックサック、お茶、地図、ボールペン、着替え、携帯電話、デジカメ、必要最小限の小銭、おやつ、タオル、絆創膏、ゴミ袋、家の鍵、小型空気入れ。 自転車は基本的に車道を左側通行しなければならないが、歩道を通行する場合は相互通行可である。その場合車道寄りを通行するということ。歩行者用路側帯は自転車は通行できない。普通の路側帯、駐停車禁止路側帯の場合は車道の左側通行だ。自転車はちょっと分かりにくい。 警視庁ホームページ( http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/bicycle/five_rule.htm )によると、 ■歩道と車道の区別のあるところは車道通行が原則 ■自転車が車道を通行するときは、自動車と同じ左側通行 ■一方通行道路で「自転車を除く」の補助標識があり、自転車の規制が除外となっている場合は逆行可(道路の左側を通行) ■普通自転車が歩道を通行することができる場合 歩道に「普通自転車歩道通行可」の標識等があるとき 13歳未満の子どもや70歳以上の高齢者、身体の不自由な人が自転車を運転しているとき 道路工事や連続した駐車車両などのために車道の左側部分を通行するのが困難な場所を通行する場合や、著しく自動車の通行量が多く、かつ、車道の幅が狭いなどのために、追越しをしようとする自動車などの接触事故の危険性がある場合など、普通自転車の通行の安全を確保するためにやむを得ないと認められるとき ■自転車が歩道を通行する場合は、車道寄りの部分を徐行しなければならないが、歩道では自転車同士による相互通行することが可能 ■自転車道があるところでは、道路工事などやむを得ない場...

いじめへの抵抗

小学校と中学校の頃、私を時々いじめていた同級生の男がいた。私は小学校に入ってからは身長体重は平均を大きく下回り小柄で、クラスで整列する時はいつも一番前か二番目だった。普段は学校は楽しい場所で、幸いにも私は友達に恵まれいつも仲のいい同級生と一緒に小学校中学校を送ることができた。しかしあるいじめっ子によって惨めな思いをしたこともよく覚えている。 そいつとはクラスが別々だったことの方が多かったが、休み時間や放課後に時々からかわれたり脅されたり、押さえつけられたり蹴られたりして暴力を振るわれた。下校の時にそいつの仲間も加わって後ろからランドセルに飛び蹴りをされながら帰ったこともある。ランドセルに傷をつけられたりゴミを入れられたり、ひたすら悪口を連呼されながら帰ったこともある。もちろん抵抗などできずに泣きながら帰ったことをよく覚えている。当時は今ほど整列を組んで下校しなかったから、上級生がいない時か一人の時を狙われたのだろう。 当時の私の印象では、そいつは筋肉質で攻撃的で理屈の通じないゴリラの様だった。到底、力ではかなわないと思った。何でもすぐに暴力で訴え、力で相手をねじ伏せようとする。私は無抵抗のままひたすら耐えるしかなかった。抵抗したら余計に危害が増えると子供心に思ったのである。学校でのいじめを親や先生に相談した覚えはないが、父親は私の身体が小さいことから見越してか、それとも知っていたのか、いじめられたらとにかく逃げて帰って来いと何度も言っていた。 いじめられると自分が価値のない人間に感じられとても惨めだった。いじめという相手の行為以上に、いじめられた自分自身が許せなかった。今ならいじめはいじめる奴が100%悪いとはっきり言えるが、当時はいじめられるのは自分が悪いと思っていた。いじめられながらいじめてくる奴に加担して情けない自分を責め、見放してしまうのだから自分も同罪だろう。 中学を卒業して就職や進学でそれまでの地元の同級生とは疎遠となる中で、私をいじめた奴ともそうなった。私は高校へ進学した。その高校は茶髪や服装の乱れが目立ち、まとまりがなく殺伐としていた。教室や廊下、下校時でも喧嘩が頻繁にあり、さらに教師がそれに輪をかけて暴力的だった。教師は生徒に対して張り手や膝蹴り、髪の毛を掴んで廊下を引きずるなどの行為が許されていた。それも弱そうで真面目そうな生徒...

46km街歩き

数年前のある日、市街地を遠くまで歩いた時のこと。往復で46kmの道。05:30発、19:00帰宅。1時間から1時間半毎に10分程の休憩をいれた。ある目的地を決め、自宅とその目的地との往復だった。目的地までは車では1時間程あれば行けるが、歩けば6時間かかった。帰りは6時間半だった。疲労も増してくると休憩時間で長く座っていると身体が動かなくなるので1回の休憩につき5分程。ちなみに自転車(ママチャリ)では約2時間だった。自宅から目的地までは緩やかに下っているため(標高差30m)、行きと帰りでは帰りの方が時間がかかる。さらにスケートボード(Pennyという小型のクルージング用のもの)で行った時は、行きは3時間、帰りは4時間だった。またPenny(ペニー)については後日ブログで書きたいと思う。大変乗り心地のいいスケボーだ。今回は歩いて行った時のこと。 服装はポケットの多い作業ズボンに化学繊維のTシャツ、靴下2枚重ね、トレッキングシューズ、帽子。持ち物は小型のリュックサックにおにぎり、ベビーチーズ、お茶、Tシャツと下着、靴下の着替え、絆創膏、ポケットティッシュ、ゴミ袋、方位磁石、小型ライト、デジカメ。ポケットにアメとチョコレート、必要最低限の小銭、家の鍵、携帯電話、ルートを記入した地図、ボールペン。 Googleマップでルートを決め、自分の歩くペースを考えて休憩地点も概ね決めておいた。国土地理院の地図を見て等高線もチェック。平地ならあまり見る必要はないが。後で知ったが標高が分かる地図もあるから今はいろいろ研究できる。 自宅を出てしばらくは市街地、その後用水路沿い、三車線ある国道、河川敷、用水路沿い、そしてまた市街地というルートを歩いた。なるべく自動車が通る道では歩道のある道を選んだ。歩道のない道を歩いて自動車が横をすり抜けていくのは気持ちの良いものではない。Googleマップのストリートビューが使える道は歩道がどうなっているのかを見ておいた。 市街地を歩いて思うのは、道路の主役は自動車であり、歩行者は常に身の危険を感じながら歩かねばならないということだ。歩道が全くない道路で自動車が4、50km/hでビュンビュン通過している道などは、ここを通りたければ自動車に乗れ、ガソリンを消費しろと言わんばかりだ。欧米では歩行者用、自転車用、自動車用に3つに区分けされる道路が...

すぐそこにある大自然

よく歩いて通る川沿いの細い道は野生に満ちている。最初に目に付いたのが川にいる50cm程のコイ。秋になり浅くなったら大きなコイは姿を消し、代わりに何かの稚魚の群れが元気よく泳いでいた。次にイタチ。初夏に一度見たが、その後は直接見たわけではないが背の高い水草をかき分けるように移動しているのはきっと奴だ。時々ガサガサしているからこの辺に住んでいるのだと思う。川の外も湿地帯がありアシが伸びるままになっている土地があるため人も入らずいい棲家があるのだろう。土手は行政の草刈があるがアシの方は手つかずだ。 亀もいた。甲羅の大きさが15cm程の黒っぽい奴だ。水面に出たコンクリート片の上で日光浴をしていた。アオサギが小魚をくわえて水面を走りながら飛び立つ光景は何か大自然を感じた。市街地なんだが。奴は時々建物の高いところに立って近辺を見渡している。獲物を見つけたらあの高さを利用して滑空するつもりなんだろう。他にも水面スレスレを曲芸のように飛んでいく二羽のツバメを目撃。捕食のためか水面の水を飲むためか。この辺で越冬するのだろうか。 夏はそこを歩くとカエルやバッタがピョンピョン跳ねた。ウシガエルが鳴くのをやめる。トカゲも急いで隠れる。ザリガニやムカデの死骸を踏まないように歩く。でかい蜘蛛の巣にエノコログサをちぎって投げつけて蜘蛛の反応を見たりした。いつも見かける鳩のツガイや雀やカラスも顔なじみになってくる。彼らに名前の無いことがだんだん不自然に思えてくる。生態系がいろいろで餌が豊富なその場所は動物達の仕事場だ。だからその道を通る時は周囲に気を使う。すいませんちょっと通りますよという感じだ。アオサギが遠くで舌打ちしている気がする。だが私もこの地域の生態系の一部のわけだから通る権利がある。 ゴミが落ちていなければもっとすっきりするんだが。タバコの吸殻やビールの缶、ペットボトル、コンビニ袋、ビニール傘、菓子の袋・・・人にゴミのポイ捨てをやめさせられないのなら、誰かが拾うしかないのか。その場で化学分解させて自然に返す技術はないのか。いやその技術の悪用の方が怖いか。結局人の心の問題か。 草が鬱陶しく人一人通る分の幅しかなく(草のせい。実際は軽トラが通れる幅がある)、特に道として重要でなくても時々通行人の方が見える。橋まで来れば国道に出て近くにコンビニも工場もある。少し東へ行けば街の...

こだわりの心

ブログの更新を2年半ぶりに行った。なぜ更新しなかったかといえば、以前よりPCに向かう時間がとれなくなったのが大きな理由だが、今の自分を顧みて「元」とは断ってはいるものの、元レンジャー隊員などと名乗り語ることに疑問を抱いたことも、更新から遠ざかる要因となっていた。元レンジャーのブログなら登山やキャンプに行ったことの話でも書きたいところだが、なかなか行けずじまいになっている。 日々限られた時間の中でブログを書くわけだからそれなりのモチベーションがいる。それが弱い。結構自由に何でも書きたいと思ってこのRanger Blog Ⅱを作ったわけだが、元レンジャーであることの立場は変わらないため、そこに疑問を抱いた自分としては、このブログに近付けなくなってしまったのだ。 レンジャーという言葉は自分にとって重いものだ。今でも年に何回かはレンジャー訓練やそれに関連する夢を見る。非常にリアルな夢で、夢の中で何年もかけてストーリーが進行している。夢というより、平行世界の様にどちらが現実か分からなくなる時がある。そういう時は自衛隊をやめたことが間違いだったのだろうかとの考えに襲われてしまう。それは絶対にないはずだが。それにしても何がそこまで自分に夢となって見せるのだろう。その疑問がついてまわるため、別のテーマで新たにブログをはじめるのではなく、元レンジャー隊員との立場をとるこのブログにこだわっているのだろう。 しかし依然として自分とこのブログとを隔てる何かが存在し、それを取り除くことができないでいた。いろいろ考えたあげく、ブログ名を上記の様に変更した。そうしたら少し胸が軽くなった。「元」が取れ、今も「練者」(訓練者)を目指すんだというところで。ダジャレみたいだが自分としてはそれで何か憑き物が落ちた感じがしたのだ。 が、また変えるかもしれない。