すぐそこにある大自然

よく歩いて通る川沿いの細い道は野生に満ちている。最初に目に付いたのが川にいる50cm程のコイ。秋になり浅くなったら大きなコイは姿を消し、代わりに何かの稚魚の群れが元気よく泳いでいた。次にイタチ。初夏に一度見たが、その後は直接見たわけではないが背の高い水草をかき分けるように移動しているのはきっと奴だ。時々ガサガサしているからこの辺に住んでいるのだと思う。川の外も湿地帯がありアシが伸びるままになっている土地があるため人も入らずいい棲家があるのだろう。土手は行政の草刈があるがアシの方は手つかずだ。

亀もいた。甲羅の大きさが15cm程の黒っぽい奴だ。水面に出たコンクリート片の上で日光浴をしていた。アオサギが小魚をくわえて水面を走りながら飛び立つ光景は何か大自然を感じた。市街地なんだが。奴は時々建物の高いところに立って近辺を見渡している。獲物を見つけたらあの高さを利用して滑空するつもりなんだろう。他にも水面スレスレを曲芸のように飛んでいく二羽のツバメを目撃。捕食のためか水面の水を飲むためか。この辺で越冬するのだろうか。

夏はそこを歩くとカエルやバッタがピョンピョン跳ねた。ウシガエルが鳴くのをやめる。トカゲも急いで隠れる。ザリガニやムカデの死骸を踏まないように歩く。でかい蜘蛛の巣にエノコログサをちぎって投げつけて蜘蛛の反応を見たりした。いつも見かける鳩のツガイや雀やカラスも顔なじみになってくる。彼らに名前の無いことがだんだん不自然に思えてくる。生態系がいろいろで餌が豊富なその場所は動物達の仕事場だ。だからその道を通る時は周囲に気を使う。すいませんちょっと通りますよという感じだ。アオサギが遠くで舌打ちしている気がする。だが私もこの地域の生態系の一部のわけだから通る権利がある。

ゴミが落ちていなければもっとすっきりするんだが。タバコの吸殻やビールの缶、ペットボトル、コンビニ袋、ビニール傘、菓子の袋・・・人にゴミのポイ捨てをやめさせられないのなら、誰かが拾うしかないのか。その場で化学分解させて自然に返す技術はないのか。いやその技術の悪用の方が怖いか。結局人の心の問題か。

草が鬱陶しく人一人通る分の幅しかなく(草のせい。実際は軽トラが通れる幅がある)、特に道として重要でなくても時々通行人の方が見える。橋まで来れば国道に出て近くにコンビニも工場もある。少し東へ行けば街の賑わいがある。人間の街は人間が作っているが、自然の中の生態系とそっくりな部分がある。

自然の中では種の違う生態系だが、人間社会は同じ人間同士なのに人が人から搾取し、肌の色や顔つきの違いで人間ではないと言い、身分が低いと言って人間ではないと言い、共食いで弱肉強食をやっている。同じ人間の姿をしていても虫けらの様に打ち捨てられる人もいれば、神と崇められる人もいる。同じ人間同士この差は何だろう。

このままずっと人間社会は回っていくのだろうか。それが実は人間にとって自然なことなのだろうか。共存共栄、弱者救済、富の分配などは自然に逆らう人工的なことなのだろうか。だから実現が難しいのだろうか。しかし、その流れに逆らう人が時々いる。

『何の利益にもならないばかりか、不利益を被ってまで人を救ける。捨て身で人を救ける』

という人が。これは本当に不自然だ。自然からしてみればそんなことは許しておけないだろう。相当なエネルギーがいると思う。自然という巨大な力に逆らうのだから。そして彼らはもはや人間とは言えない。人間らしくないのだから。



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