2014年12月15日月曜日

250ccのバイク



RGV250ガンマ(1989)というバイクに乗っていた時期がある。中古の安いものだったが走りは評判通りの過激さだった。7000rpmからの突き抜けるような加速感が凄まじい。軽いため、車体を寝かしたり起こしたりが素早くでき、コーナリングが楽しい。

買ってしばらくは2ストレプリカに慣れるために毎夜練習に出かけた。4ストと違ってエンブレが効かない、前輪ブレーキをがっつり使う、高回転で回さないと走らない、ハンドルが低くステップの位置が高いなど。さらに後輪依存型の操作性もコツをつかむ必要があった。

コーナリングの入口でフロントフォークをガツンと沈み込ませ、ブレーキを引きずりながら倒し込み、なるべくアクセルを開けながら、そのためには車体を早く起こせるようなライン取りをイメージしながらコーナリングを抜ける。これが非常に楽しかった。加速、減速、旋回のメリハリのない走り方は苦痛なだけだからどうしてもコーナーを攻めてしまう。転倒も何度かした。幸いにも擦り傷程度、バイクもウインカーの修理くらいで済んだが。

独身の頃は毎週のように峠へツーリングに行ったものだ。連休になれば遠出もした。その頃は車を持っていなかったのでガンマが足だった。名古屋から東京、あるいは名古屋から大阪まで下道でのんびりツーリングに出かけたこともある。若い頃はふらっと遠くまで出かけたくなることがよくあった。

ふらっと出かけたはいいが、2ストロークエンジンはプラグがかぶることがたまにあり、旅先でエンジンがかからなくなったことも何度かあった。夜中の峠道で、または人通りの多い市街地で、何回キックを踏んだかわからない。燃費は10km/Lでスタンドまでの距離が気になるし、オイルも補充しなければいけない。長距離向きではないのだろうが、何年後かにCB400SFで名古屋東京間を走った時よりも楽しかったと記憶している。ガンマの方がトラブルは多かったが。

購入時にくたびれた感じの格安車だったこともあり、購入後約3年半でバイク屋に売ることとなった。あちこちボロボロの感じで、エンジンはアイドリングが定まらなくなり、私の通勤の足はもう車になっていたので無理に修理に出すこともなく埃をかぶっている日が多くなっていた。

しかし乗り慣れたバイクを手放すということは寂しいものだ。経験したことのある人なら分かるだろうが、しばらくは駐輪場に自分のバイクがないことに気を落とす日が続いた。孤独の日々や、怒りにまかせて街をかっ飛ばした夜も、夜食のレジ袋をハンドルに下げて走ったことも懐かしい。

2ストマシンは1998年に実施された排ガス規制により、現在は生産されていない。最近ではスクーターさえも4ストらしい。生き残っているマシンも年々減っていくだろう。これも時代の流れか。

現在はバイクは所有していないが、いつかまた手に入れたいと思っている。今乗ってみたいのはニンジャ250。パワーを使い切るスポーツ走行が楽しめるだろうから。それに、バイクは完全に趣味の範疇になるので経済的にも車検のない250がいい。

実は初めて購入したバイク(原付は除く)が中古のGPZ250R(1985)だった(輸出仕様の名称はNinja250R)。20数年前だがよく覚えている。キビキビとした走りでバイクの楽しさを教えてくれた。乗っていて安心感があり、怖い思いをした記憶がない。なんとなくゴツゴツしたエンジン音も夜中に一人峠を走っていると頼もしく感じた。ホンダのメカニカルな音はなぜか疲れる。人それぞれだろうが。

バイクに乗らなくなって数年。そろそろまた乗りたくなってきた。しかし今は子供と一緒にPennyやキックスクーターを転がしている方が楽しいという、親としての自分もいる。子供たちが成長したらまた乗る機会もあるだろう。その時は妻と一緒に出かけよう。(二人共、無駄に大型自動二輪の免許を持っている)

2014年11月30日日曜日

発表会と純粋さ

我が子の幼稚園の発表会(歌と劇)に行ってきた。風邪をひいて何日も休んでしまったので練習不足で気後れしていた。それでも本人は楽しみにしていたようで参加できて良かった。周囲を見ながら踊る我が子。親として舞台上の子供には何もしてやれないことを学んだ。一度本番が始まれば先生の最小限のサポートがあるものの、進行は止められない、本人がやり切るしかないのだ。

幼稚園児は遊びの中から思考力やたくましさが育成されるという。だからいっぱい遊ぶことが子供には大切なことだ。みんなと一緒に歌ったり踊ったり、これ以上の遊びがあるだろうか。舞台を完成させるために、日々練習を繰り返し、小道具を作り、健康管理をし、みんなの意見を聞き、話し合いをし、先生の言うことに従い、全員で一丸となって団結し、助け合い、保護者たち観衆を楽しませようと緊張の中でも元気を出す。

私達大人が営んでいる社会生活の元を子供達の演劇の中に見た。一つの目標のためにみんなで協力して役割を演じることや、正しさと美しさの追求、助け合いや競争心というものを。真剣に遊んでいれば必ず課題が出てくるものだ。同時にそれを乗り越える力も。その課題に取り組んでいくことが社会生活だし、人生だと思う。

子供心に浮かんだ疑問のいくつかは大人でもはっきりと答えられないことがある。例えば、戦争とか貧富の差とか、運命だとかこの世界は何であるかとか。子供はストレートだ。だからこそ物事が難しくなる前に解決できる。欲や面子という、埃の付いた大人には難しいことも子供は簡単にやってのける。例えば人を許すということ、自分の過ちを認めることと頑固さの同居、自分の取り分などを全く心配することなく人と分け合うこと、習慣を変えること、あるいは立ち直りの早さなど。

子供達は純粋だ。私はその純粋さの中に明るい未来を見た気がする。子供達は誰に教わって子供らしくなっているのではない。それははじめからそうなのである。ならばそれは人間の本質がそうなのである。その本質の周りに経験や知識を巻いて、あるいは目や耳や口を塞いでその時の社会に適応しようとしているのが大人ではないか。子供はいつの時代、どこの世界でも同じようだが、大人になれば時代や地域によって大きく考え方も異なる。その大人も誰一人かつて子供でなかった人はいない。

子供の純粋さに任せておけばいいということではない。純粋ではあるが何も分からない子供に任せることほど親として無責任なことはない。次の世代へ、この世界を先に去る大人の一人として引き継ぎをしなければいけない。しかしそれは何もかも今まで通りにやれということではない。いろいろな社会問題に対しては、それを解決するための新しい発想、あるいは怖いもの知らずの若さというものが必要だろう。親として指導はするが、人間の純粋な精神以上に世界に有益なものはないということも分かっている。

遊びの延長に人生がある。子供の遊びも大人が上手くリードすれば大変有意義である。そこには思考力やたくましさ、思いやりを培う土台がある。小さな子供たちのひたむきさを見て感じた。そのひたむきさそのものに価値があり、それによって生じる上手い下手、成功や失敗、勝敗などの形には意味などなく、ひたむきであることだけが成功であり、幸せなことである。

ひたむきさというのはもちろん精神のことである。心を込めるとか、心がけを大事にするということである。人に見えない心だからこそ、それを感じた時には何もかも分かるものだ。

2014年11月27日木曜日

48km Penny

2年程前、Penny Skateboard(ペニー・スケートボード)で48kmの距離をクルージングしてみた。以前から徒歩や自転車で行った場所にPennyというスケボーを使って行ってみたのである。距離が少し延びたのはスケートボードのやりやすい道を選んだからである。スケートボードを移動手段にすることは日本では一般的ではないが、欧米の都市部ではクルーザータイプのスケートボードの認知度は高い。

Pennyとはスケートボードのブランド名で、小型で軽量で持ち運びやすく、走りは静かで伸びがあってクルージングに適した品質となっている。小さいためトリックには不向きだが乗り心地は大変良い。価格は1万円前後。

私はスケートボードはペニーが初めてだ。ローラースケートなら子供の頃に流行り毎日それで遊んでいた時期があるが、いわゆる横乗りのスノーボードやサーフィンなどはやったことがない。きっかけは、長距離を歩いている時に、緩やかな下り道ではローラースケートみたいなもので滑れば早いし気持ちいいだろうなあと思ったのが始まりだ。そういうもので歩きながら携帯できるものはないかなあと。

早速ネットで調べると、ミニクルーザーのPennyというスケートボードがあるのを知った。Pennyの同等品にStereo社のVinylCruiser(バイナルクルーザー)もあったが、YouTubeを見るとPennyの方が圧倒的に参考動画が多いので迷わずPennyを購入。

42歳にして初めてスケートボードに乗った。評判通りの滑らかさで、最初はデッキに両足で立つだけでも苦労した。練習開始数分で大転倒しスケートボードの洗礼を受けた。肘を強打し激痛に耐えながらデッキへの乗り降りから始めて、次にプッシュの練習をした。日を重ねるごとにだんだんバランスがとれるようになり、足を置く場所や体重のかけ方も分かってきて転倒への恐怖心はいつしか消え、滑ることの楽しさが増していった。

ポンピングで前へ進めるようになってからは、まるで水面を進むような感覚を覚え感動した。Pennyでクルージング(巡航)をする、という表現は間違っていない。緩やかな下り道で右に左にターンしながら風を受け、静かにのんびりと滑ればとても心地よい。Pennyの醍醐味はいろんな景色の中を風を切りながら滑り抜けていくことだと思う。

購入して2ヶ月経った頃、以前徒歩で往復13時間半かかった場所へPennyで行ったところ往復7時間で行け、身体の疲労感も半分以下で、一番良かったことは徒歩で行った時の足の痛みが無かったことだ。長距離を歩くと身体の不具合がどこかに現れるものだが、Pennyを使った場合はかなり軽減された。

上り坂や急な下り坂、デコボコの道、人の往来の多い道ではPennyは使えない。それ以外の平坦か緩やかな下り坂で使用した。上りやデコボコ道では使えないし、急な下り坂では危なすぎる。人や車の往来の多い場所でのスケートボードは道路交通法違反となる。(道路交通法第76条第4項第3号の違反<道路における禁止行為>「交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること」)

Pennyの使えない道では手に持って歩くわけだが、重量は1.9kg程で短時間なら苦にはならなかった。しばらく乗らない場合は背中のナップサックに引っ掛けておいた。

家から目的地まで24km、標高差約30mで行きは下っている分プッシュの伸びがある場所が多く3時間で到着。帰りは僅かとはいえ上り坂であるため4時間かかった。ルートはGoogleマップでよく練った。スケートボードを使用するには平坦な道で人や車の往来が少ない道を選ぶ必要がある。徒歩では歩きたい道を行けばいいがスケートボードを快適に使うには道は選んだほうがいい。

幸いにも家から目的地までの間にはいくつもの川があり、堤防沿いや河川敷の舗装道路という平坦で交通量の少ないルートを選べた。さらに極力人通りを避けるため、午前3時に出発した。人々の奇異の目にさらされる時間も少ないほうがいい。

Pennyの7時間は楽しかった。クルーザータイプのスケートボードは足がわりになる。歩きたい時はデッキから降りるだけという手軽さがいい。この日、Pennyは完全に私の移動手段の一つとなった。

今では時々幼稚園に通う我が子のキックスクーターと一緒に、Pennyに乗って楽しんでいる。

2014年11月17日月曜日

DOPPELGANGER(ドッペルギャンガー)825 ALACREを購入

ロードバイク風折りたたみ自転車の「DOPPELGANGER(ドッペルギャンガー)825 ALACRE(アラクレ)」を買った。諸事情により、車に積める折りたたみ式を探していたらその自転車にたどり着いた。車に積むのだから20インチまでの自転車をイメージして探していたのだが、調べているうちに26インチのクロスバイクでも折りたたみ式があることを知り、走りにも欲が出てきた。

Amazonで検索するとロードバイクのカテゴリーで折りたたみ式のものがベストセラー1位となっていた。カスタマーレビューを見ると良いところも悪いところも詳しく書いてあって信頼できそうな意見が多数。安価でしかもフレームを折りたたむのだから高性能は期待しない。しかし安物買いの銭失いということもある。さらにネットでいろいろ調べていくとやはり安価なロードバイクはいろいろと問題が多いようだ。

ただドッペルギャンガーという自転車に関しては、自分でメンテナンスができれば自分の使用目的には耐えうると判断した。普段は1日に多くても10km程度の走行で雨天では使用しない。1~2kmの距離ならもっと手軽で小径のものを選んだろうが、10kmとなるとドッペルギャンガーの700Cタイヤサイズに21段変速は魅力的だ。

というわけでAmazonで注文、2日後に到着。検品をして、分からないことは全てネットで調べながら組み立てた。前輪を付け、同時に注文しておいた整備用スタンドに立て、サドル、ペダル、ハンドル、付属のLEDライトにベル、ワイヤーロック、反射板を付け、雨上がりに乗れるように別売りの泥除けを付け、付属のLEDライトでは夜間暗いだろうから別に購入しておいたもっと明るいライトをもう一つ付け、組み立て完了。次に前後のキャリパーブレーキ調節、変速機の調整、サドル高さの適正位置微調整、タイヤに空気を入れ、最後に錆びそうなネジやボルトにグリスを塗りながら緩みやフレームに亀裂などないかチェックして整備完了。

さあ試運転、ということで近所をグルグルと走行。ハンドルの低さが気掛かりだったが170cmの自分の身長ではこんなものだろうという感じ。もし高くしたければハンドルの角度調整のパーツ(別売り)で少しは上げられるだろう。走りながらブレーキの効き具合や変速機の具合、ハンドルやサドルの締め付け具合、タイヤの空気圧を確認。ハンドルの向きを微調整したり、タイヤの空気圧については計測器を持っていないため乗りながら圧を高めていった。過去に空気を入れすぎて破裂(入れてる最中に爆発した)させたことがあるため慎重に入れた。

折りたたみ式フレームといっても強度不足は感じない、通常走行中上と下のスチールフレームが何の予兆もなく2本同時に断裂することはまず考えられない。ボルトの締め忘れさえ注意すれば気にする必用はないだろう。15分程で一応整備状態としては満足のいく状態となった。最後に折りたたみ具合の確認。ハンドルが後部泥除けに当たるためペラペラの泥除けを持ち上げながらたたむ必要がある。着脱式だから普段は外しておくこともできる。

ここまで自転車の素人でも調べながらなんとかなった。私は特に自転車が趣味というわけでもなく、メンテナンスも油を差すとかワイヤの調整ネジを回すくらいのことしかやったことはなかった。ママチャリやマウンテンバイクを通勤で乗ってる分にはそれで何ら支障はなかった。パンク修理も15年以上前に一度自分でやったことがあるくらいで、パンク修理キットの説明書を見ながらやったものだ。

ここ10数年、自転車はたまにしか乗らなくなっていた。400ccのオートバイに乗っていたからである。またオートバイに関する話は後日させてもらうとして、オートバイでツーリングに行くのがしばらく趣味の時があった。今はオートバイは所有していない。子供が生まれツーリングなどに行く機会もなくなり、乗らないのに維持費をかけて置いておくのももったいないため処分した。

さて、走ってみた感想は3万円で折りたたみ式自転車にしては速く走ることができるというところだろうか。しかしタイヤのグリップ、ブレーキの効き、全体の剛性感はやはり値段相当だと思う。とはいえ、改造の余地があるところは入門者にはいいかもしれない。耐久性についてはまだ分からない。長距離目的で購入する人は少ないだろうから長距離を問題なく走ったという実証例も少ない。実際に自分で100kmとかを走ってみるしかないだろう。

今回、車と自転車を組み合わせることによって生活面の諸事情に対処すべく、折りたたみ自転車を購入したわけだが、思いがけぬいい買い物をしたと思っている。最初は乗り終わったあとに足がガクガクになったが、いい運動になっている。自転車のメンテナンスの方法も覚えた。遠くまで自分の足で漕いで走ってみたいという気持ちがウズウズしてきた。毎日乗るのが楽しみになっている。

2014年10月26日日曜日

46kmサイクリング

自宅とある目的地との往復46kmを自転車(ママチャリ)で行ってみた時のこと。前回は徒歩だったが自転車で行った場合はどんな感じかやってみた。市街地や用水路沿い、国道、河川敷を走った。行きは2時間、帰りは緩やかに登っているため3時間かかった。早朝に出発して昼には帰宅した。

自転車で行った感想はとにかくお尻が痛かったということ。1時間も乗っているとヒリヒリしてきて苦痛だった。ママチャリだからしっかりサドルに体重がかかるのが原因だろう。

服装は作業ズボン、Tシャツ、デニムシャツ、サングラス、普段履かない靴底の減ったボロ靴。持ち物はリュックサック、お茶、地図、ボールペン、着替え、携帯電話、デジカメ、必要最小限の小銭、おやつ、タオル、絆創膏、ゴミ袋、家の鍵、小型空気入れ。

自転車は基本的に車道を左側通行しなければならないが、歩道を通行する場合は相互通行可である。その場合車道寄りを通行するということ。歩行者用路側帯は自転車は通行できない。普通の路側帯、駐停車禁止路側帯の場合は車道の左側通行だ。自転車はちょっと分かりにくい。

警視庁ホームページ(http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/bicycle/five_rule.htm)によると、

■歩道と車道の区別のあるところは車道通行が原則

■自転車が車道を通行するときは、自動車と同じ左側通行

■一方通行道路で「自転車を除く」の補助標識があり、自転車の規制が除外となっている場合は逆行可(道路の左側を通行)

■普通自転車が歩道を通行することができる場合

  • 歩道に「普通自転車歩道通行可」の標識等があるとき
  • 13歳未満の子どもや70歳以上の高齢者、身体の不自由な人が自転車を運転しているとき
  • 道路工事や連続した駐車車両などのために車道の左側部分を通行するのが困難な場所を通行する場合や、著しく自動車の通行量が多く、かつ、車道の幅が狭いなどのために、追越しをしようとする自動車などの接触事故の危険性がある場合など、普通自転車の通行の安全を確保するためにやむを得ないと認められるとき

■自転車が歩道を通行する場合は、車道寄りの部分を徐行しなければならないが、歩道では自転車同士による相互通行することが可能

■自転車道があるところでは、道路工事などやむを得ない場合を除き、自転車道を通行しなければならない


感覚としては、自転車は車道を走る場合は原付のようで、しかし道幅や駐車車両の問題などで車道を通行することが危険な場合は歩道を通行してもよい、その場合右側通行も可、その他標識をよく見て走れ、という感じかな。あと二人乗り禁止、並進禁止、飲酒運転禁止、夜間無灯火禁止、交通頻繁な道路では傘さし運転禁止(愛知県の場合)など。

車道の右側通行が、路側帯では禁止になったが、歩道の場合は可能であることは周知されていないと思う。歩道の通行は例外であると強調するあまり自転車は全面的に左側通行になったと勘違いしている人もいると思う。周知されていないうちは歩道での自転車同士による出会い頭の衝突事故を避けるためにもなるべく左側を通行したほうが良さそうだ。

あと、自転車を走らせていて特に気になったことは、自動車の右左折時に反対方向にハンドルを切ってから曲がる運転手が多いということ。これは大型自動車や貨物自動車のことではない、軽自動車を含む乗用車のことだ。例えば左折の場合、交差点手前で運転手が顔を左に向けたままハンドルを右に切り、右側に大きく膨らみながら左折するというように。左側が空くから二輪車が巻き込まれる危険があるし、右側の車線を走っている車や対向車との接触、あるいは一方通行の道であれば右側の歩行者や自転車などとの接触の危険もある。

左折時の内輪差を気にしてのことだろうが、それ以上に右側に危険な状況を作り出しているのだが、顔は完全に自分の曲がりたい方向しか見ておらず気づいていないのだから厄介だ。自動車学校では、交差点の手前で曲がりたい方向にあらかじめ寄せて二輪車の巻き込み防止をしなければならないと教えられたと思うが、その逆をやっているのだから大変危険だ。

以前目撃したことだが、一方通行でロードバイクの人が道路の左側を走行中、交差点手前でロードバイクに追いつきそのすぐ横を走行しながら右折のウインカーを出し(自動車は直進できない交差点だった)減速し始めた乗用車があった。交差点の信号はずっと青でロードバイクが交差点に進入しようとしたところ、交差点に差しかかったその乗用車が急に左にハンドルを切ってきたため、ガードレールと車との間に挟まれそうになり、ロードバイクの人がとっさに窓ガラスを叩いて事故を回避した。片手運転になりバランスを崩して転倒しそうになっていたが、乗用車はそのまま走り去った、ということがあった。

自動車が膨らんで曲がることはよく見かける。これは人の技量の問題だろうから自動車に自動制御装置が付くなどの技術革新がない限りなくならないだろう。ならばそれを予測して走ろう。歩行者や自転車は自動車の様々な危険運転を想定して、自分の身は自分で守らなければいけない。相手は鉄の塊なのだから。もちろん自動車だけでなく、迷惑な歩行者や危険運転の自転車も道路を長く走っていれば必ず遭遇するものだ。自然災害は別として人為的な危険は予測してみよう。徒歩や自転車を楽しむために、一つでも予期せぬ危険を減らしたい。

自転車はその気になれば結構遠くまで行くことができる。雨さえなければ気分爽快、自分の足で漕いで行く達成感もある。その素朴な遊びを楽しみ、無事に家に帰るために。

2014年10月19日日曜日

いじめへの抵抗

小学校と中学校の頃、私を時々いじめていた同級生の男がいた。私は小学校に入ってからは身長体重は平均を大きく下回り小柄で、クラスで整列する時はいつも一番前か二番目だった。普段は学校は楽しい場所で、幸いにも私は友達に恵まれいつも仲のいい同級生と一緒に小学校中学校を送ることができた。しかしあるいじめっ子によって惨めな思いをしたこともよく覚えている。

そいつとはクラスが別々だったことの方が多かったが、休み時間や放課後に時々からかわれたり脅されたり、押さえつけられたり蹴られたりして暴力を振るわれた。下校の時にそいつの仲間も加わって後ろからランドセルに飛び蹴りをされながら帰ったこともある。ランドセルに傷をつけられたりゴミを入れられたり、ひたすら悪口を連呼されながら帰ったこともある。もちろん抵抗などできずに泣きながら帰ったことをよく覚えている。当時は今ほど整列を組んで下校しなかったから、上級生がいない時か一人の時を狙われたのだろう。

当時の私の印象では、そいつは筋肉質で攻撃的で理屈の通じないゴリラの様だった。到底、力ではかなわないと思った。何でもすぐに暴力で訴え、力で相手をねじ伏せようとする。私は無抵抗のままひたすら耐えるしかなかった。抵抗したら余計に危害が増えると子供心に思ったのである。学校でのいじめを親や先生に相談した覚えはないが、父親は私の身体が小さいことから見越してか、それとも知っていたのか、いじめられたらとにかく逃げて帰って来いと何度も言っていた。

いじめられると自分が価値のない人間に感じられとても惨めだった。いじめという相手の行為以上に、いじめられた自分自身が許せなかった。今ならいじめはいじめる奴が100%悪いとはっきり言えるが、当時はいじめられるのは自分が悪いと思っていた。いじめられながらいじめてくる奴に加担して情けない自分を責め、見放してしまうのだから自分も同罪だろう。

中学を卒業して就職や進学でそれまでの地元の同級生とは疎遠となる中で、私をいじめた奴ともそうなった。私は高校へ進学した。その高校は茶髪や服装の乱れが目立ち、まとまりがなく殺伐としていた。教室や廊下、下校時でも喧嘩が頻繁にあり、さらに教師がそれに輪をかけて暴力的だった。教師は生徒に対して張り手や膝蹴り、髪の毛を掴んで廊下を引きずるなどの行為が許されていた。それも弱そうで真面目そうな生徒がいつもやられていた印象がある。無秩序で混沌としていて、今までの学校のイメージが崩れ、これからの学園生活に絶望した。

日毎にならず者がのさばる監獄の様な場所に疲れ、父に高校を退学したいと打ち明けたが、父の残念そうな顔を見てそれは思いとどまった。私は今までの自分を変える努力をした。腕立て伏せや腹筋、ボクシングのまねごとを完全な自己流だがやり始めた。と言えばかっこよく聞こえるが、内容は今思えば全然ダメで効果的ではなかった。しかし、鍛えているという自信にはなった。

小中ではいじめに無抵抗だったが、高校では身体が大きいとか強い奴の仲間であるとかの理由で傍若無人ぶりを発揮する様な奴らに心底嫌気がさしていたこともあり、抵抗を試みた。拳を握り、構えた。やられてばかりだったが。だが2年生の頃には身長が伸び、平均よりは低かったがもうチビではなかった。相手が複数だろうと逃げなかった。弱くても倒されても、もう自分を責めない決して自分を見放さない。

威圧的な者、人を蔑む者への抵抗。私はいろんな意味で弱かったし、周囲は修羅の世界だった。したがっていくらでもその試みの機会はあった。そしてとうとうクラスの番長みたいな奴と喧嘩になり、その時そいつのアゴに右のパンチをためらいなく打ち込む自分を認めた。周囲に止められそれ以上発展しなかったが、勝ち負けなどどうでもいい。自分に有利な喧嘩などしたことがない。私は自分の心の問題をずっと背負ってきてそれに取り組んでいるのだから。

時は流れ、成人式を迎える年となった。私は高校卒業後にすぐに就職したが半年で辞め、陸上自衛隊に入隊し厳しい訓練の中、先輩の猛者達と寝食を共にしていた。成人式の2ヶ月前にレンジャー訓練を修了したばかりで、飢えの反動で大食いをして体重も増えていた頃だ。手はロープ訓練のおかげでグローブの様になっていた。

成人式では中学卒業以来の懐かしい同級生がいっぱい来ていた。私はかなり別人の様に変わっていたので皆から驚かれた。というか引かれていたと思う。その中に小中と私をいじめていた奴がいた。全くオーラが感じられなかったが、何やら私を君付けで呼んで目は泳ぎ一生懸命に話しかけてきたので適当に相槌を打ったが話しの内容は覚えていない。ただ奇妙な態度を取ったらいつでも過去私にしたことを追求してやろうとじっと態度を伺ったが、特に気に障ることもなくそいつは事なきを得た。

振り返ってみれば当時は辛かったが、私の場合いじめられた経験がその後の自分を形成するのに結果的に役立ったと言える。しかしそれは自分の得意なことに取り組んだわけではないのでその過程で相当な無理をした。いじめがなければ私はもっと自分の得意なことをやっていただろう。同じ苦労をするのならわざわざ不得意なことをするより得意分野の方が自分を生かせるのだから。

そもそも、元々小さく華奢な私がなぜ強くならねばいけないのか。私は他にやりたいことがあったのだ。私は絵が好きだった。そして得意でもあった。身体が小さくても先生や親に認めてもらえるものがあった。しかし、暴力の前にその自尊心は消し飛んだ。自分を生かすにはせめて人並みに強く成らねばと思った。それ以来得意なことなどしたことがない。

やはり世の中得意なことを伸ばした方が良いというのが今まで生きてきた実感である。しかし私が苦労した様にこの世の中、弱い者は今日を生きるだけで精一杯だ。強い者が彼らの夢を摘み取り食っているのだ。夢が花開き実を結ぶ社会の方が皆が満腹になれるだろうに。この世界は弱い者の方が圧倒的に多いのだから。

2014年10月12日日曜日

46km街歩き

数年前のある日、市街地を遠くまで歩いた時のこと。往復で46kmの道。05:30発、19:00帰宅。1時間から1時間半毎に10分程の休憩をいれた。ある目的地を決め、自宅とその目的地との往復だった。目的地までは車では1時間程あれば行けるが、歩けば6時間かかった。帰りは6時間半だった。疲労も増してくると休憩時間で長く座っていると身体が動かなくなるので1回の休憩につき5分程。ちなみに自転車(ママチャリ)では約2時間だった。自宅から目的地までは緩やかに下っているため(標高差30m)、行きと帰りでは帰りの方が時間がかかる。さらにスケートボード(Pennyという小型のクルージング用のもの)で行った時は、行きは3時間、帰りは4時間だった。またPenny(ペニー)については後日ブログで書きたいと思う。大変乗り心地のいいスケボーだ。今回は歩いて行った時のこと。

服装はポケットの多い作業ズボンに化学繊維のTシャツ、靴下2枚重ね、トレッキングシューズ、帽子。持ち物は小型のリュックサックにおにぎり、ベビーチーズ、お茶、Tシャツと下着、靴下の着替え、絆創膏、ポケットティッシュ、ゴミ袋、方位磁石、小型ライト、デジカメ。ポケットにアメとチョコレート、必要最低限の小銭、家の鍵、携帯電話、ルートを記入した地図、ボールペン。

Googleマップでルートを決め、自分の歩くペースを考えて休憩地点も概ね決めておいた。国土地理院の地図を見て等高線もチェック。平地ならあまり見る必要はないが。後で知ったが標高が分かる地図もあるから今はいろいろ研究できる。

自宅を出てしばらくは市街地、その後用水路沿い、三車線ある国道、河川敷、用水路沿い、そしてまた市街地というルートを歩いた。なるべく自動車が通る道では歩道のある道を選んだ。歩道のない道を歩いて自動車が横をすり抜けていくのは気持ちの良いものではない。Googleマップのストリートビューが使える道は歩道がどうなっているのかを見ておいた。

市街地を歩いて思うのは、道路の主役は自動車であり、歩行者は常に身の危険を感じながら歩かねばならないということだ。歩道が全くない道路で自動車が4、50km/hでビュンビュン通過している道などは、ここを通りたければ自動車に乗れ、ガソリンを消費しろと言わんばかりだ。欧米では歩行者用、自転車用、自動車用に3つに区分けされる道路が増えているそうだが日本はどうした。

安全な道をのんびりと歩きたい。自動車ばかり高性能で大きくなって快適性や安全性を追求しているが道行く生身の人間のことは考えないのだろうか。どれだけ広い歩道でも、近年では自動車が歩道に突っ込んで歩行者をなぎ倒すというニュースをよく聞く。歩行者は歩道を歩いていても自動車の動向に注意しなければならない。駐車場で操作を間違えて建物に突っ込んでくる自動車はもっと前からニュースになっていたが、止まっている自動車に対しても歩行者は注意を怠れない。

今回歩いたのはほとんど市街地だったが、途中で河川敷を歩いた。硬いアスファルトからフワフワな土や草が足に優しい。大きな川でそこを歩いていると市街地の喧騒を離れて童心に返れる気がする。しかし気分良く歩いていた時、不意に遠くで誰かが叫んだと思ったらすぐそばの茂みが小さくガサッといった。そこは河川敷を利用したゴルフコースがあり、ドライバーのスライスがコースを外れ歩道を歩いていた私のすぐ2mそばに落ちたのである。茂みを覗くとゴルフボールがあった。打った人が遠くで謝っていた。拾ったボールを投げ返してやった。

貴重な体験である。あれ以来私は空にも注意をする様になった。