250ccのバイク



RGV250ガンマ(1989)というバイクに乗っていた時期がある。中古の安いものだったが走りは評判通りの過激さだった。7000rpmからの突き抜けるような加速感が凄まじい。軽いため、車体を寝かしたり起こしたりが素早くでき、コーナリングが楽しい。

買ってしばらくは2ストレプリカに慣れるために毎夜練習に出かけた。4ストと違ってエンブレが効かない、前輪ブレーキをがっつり使う、高回転で回さないと走らない、ハンドルが低くステップの位置が高いなど。さらに後輪依存型の操作性もコツをつかむ必要があった。

コーナリングの入口でフロントフォークをガツンと沈み込ませ、ブレーキを引きずりながら倒し込み、なるべくアクセルを開けながら、そのためには車体を早く起こせるようなライン取りをイメージしながらコーナリングを抜ける。これが非常に楽しかった。加速、減速、旋回のメリハリのない走り方は苦痛なだけだからどうしてもコーナーを攻めてしまう。転倒も何度かした。幸いにも擦り傷程度、バイクもウインカーの修理くらいで済んだが。

独身の頃は毎週のように峠へツーリングに行ったものだ。連休になれば遠出もした。その頃は車を持っていなかったのでガンマが足だった。名古屋から東京、あるいは名古屋から大阪まで下道でのんびりツーリングに出かけたこともある。若い頃はふらっと遠くまで出かけたくなることがよくあった。

ふらっと出かけたはいいが、2ストロークエンジンはプラグがかぶることがたまにあり、旅先でエンジンがかからなくなったことも何度かあった。夜中の峠道で、または人通りの多い市街地で、何回キックを踏んだかわからない。燃費は10km/Lでスタンドまでの距離が気になるし、オイルも補充しなければいけない。長距離向きではないのだろうが、何年後かにCB400SFで名古屋東京間を走った時よりも楽しかったと記憶している。ガンマの方がトラブルは多かったが。

購入時にくたびれた感じの格安車だったこともあり、購入後約3年半でバイク屋に売ることとなった。あちこちボロボロの感じで、エンジンはアイドリングが定まらなくなり、私の通勤の足はもう車になっていたので無理に修理に出すこともなく埃をかぶっている日が多くなっていた。

しかし乗り慣れたバイクを手放すということは寂しいものだ。経験したことのある人なら分かるだろうが、しばらくは駐輪場に自分のバイクがないことに気を落とす日が続いた。孤独の日々や、怒りにまかせて街をかっ飛ばした夜も、夜食のレジ袋をハンドルに下げて走ったことも懐かしい。

2ストマシンは1998年に実施された排ガス規制により、現在は生産されていない。最近ではスクーターさえも4ストらしい。生き残っているマシンも年々減っていくだろう。これも時代の流れか。

現在はバイクは所有していないが、いつかまた手に入れたいと思っている。今乗ってみたいのはニンジャ250。パワーを使い切るスポーツ走行が楽しめるだろうから。それに、バイクは完全に趣味の範疇になるので経済的にも車検のない250がいい。

実は初めて購入したバイク(原付は除く)が中古のGPZ250R(1985)だった(輸出仕様の名称はNinja250R)。20数年前だがよく覚えている。キビキビとした走りでバイクの楽しさを教えてくれた。乗っていて安心感があり、怖い思いをした記憶がない。なんとなくゴツゴツしたエンジン音も夜中に一人峠を走っていると頼もしく感じた。ホンダのメカニカルな音はなぜか疲れる。人それぞれだろうが。

バイクに乗らなくなって数年。そろそろまた乗りたくなってきた。しかし今は子供と一緒にPennyやキックスクーターを転がしている方が楽しいという、親としての自分もいる。子供たちが成長したらまた乗る機会もあるだろう。その時は妻と一緒に出かけよう。(二人共、無駄に大型自動二輪の免許を持っている)



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