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「五輪書」フェイントで相手の思惑を見る

宮本武蔵『五輪書』  火之巻 かげをうごかすと云事  より。 一 かげをうごかすと云事。 かげをうごかすと云ハ、 敵の心のミへわかぬ時の事也。 大分の兵法にしても、 何とも敵の位の見わけざる時ハ、 我方より強くしかくる様にみせて、 敵の手だてを見るもの也。手だてを見てハ、 各別の利にて勝事、やすき所也。 又、一分の兵法にしても、 敵うしろに太刀を搆、脇に搆たる様なるときハ、 ふつとうたんとすれバ、 敵思ふ心を太刀にあらはすもの也。 あらはれしるゝにおゐてハ、其まゝ利をうけて、 たしかにかちをしるべきもの也。 油断すれバ、拍子ぬくるもの也。 能々吟味有べし。 陰を動かすというのは、敵の思惑が読めない時のことである。 大分の兵法(合戦)にしても、敵の態勢を見分けられない時は、こちらから強く攻撃を仕懸けるように見せて、敵の手だてを確認するのである。それが確認できれば、まったく別の戦法によって勝利は容易となる。 また、一分の兵法(個人戦)にしても、敵が後方に太刀を搆えたり、脇に搆えているような時は、こちらが「ふっ」と打つふりをすれば、敵の思いが太刀に現われるものである。それが分かれば戦いで優位に立てるのである。油断すれば、拍子が抜けることになる。よくよく吟味あるべし。

家族の力

家にいる妻と娘。夫・父の異変に真っ先に気づき手を差し伸べてくれる存在。父親なら家族を守るのは俺しかいないと考えるものだし、家族の支えがあってこそ頑張れるものだ。You Tubeの感動CM。 Embrace Life - always wear your seat belt

「五輪書」四つ手を放す

宮本武蔵『五輪書』  火之巻 四手をはなすと云事 一 四手をはなすと云事。 四手をはなすとハ、敵も我も、同じこゝろに、 はりあふ心になつては、 戦はかゆかざるもの也。 はりあふ心になるとおもハヾ、其まゝ心を捨て、 別の利にて勝事をしる也。 大分の兵法にしても、 四手の心にあれば、はかゆかず、 人も多く損ずる事也。はやく心を捨て、 敵のおもはざる利にて勝事、専也。 又、一分の兵法にても、 四手になるとおもハヾ、其まゝ心をかへて、 敵の位を得て、各別かはりたる利を以て 勝をわきまゆる事、肝要也。 能々分別すべし。 敵もこちらも同じ心持になって、張り合う気持になってしまうと、戦いの見通しがつかなくなるものである。意地の張り合いみたいなことになると思ったら、すぐにその心を捨てて、別の手を打ち確実に勝て。これが四つ手を放す、ということである。 大分の兵法(合戦)にしても、四つ手の心があっては、目処がつかず、兵も多く損耗することになる。早くその心を捨てて、敵の予想もしない利で勝つこと、これが大事である。 また、一分の兵法(個人戦)でも、四つ手になると思えば、ただちに心持を変えて、敵の態勢を把握して、まったく違う別の利を使って勝つ、それをわきまえることが肝要である。よくよく分別すべし。

「五輪書」枕をおさえる

宮本武蔵『五輪書』  火之巻 枕をおさえるという事 より抜粋。 一 枕を押ると云事。 枕をおさゆるとハ、 かしらをあげさせずと云所也。 兵法勝負の道にかぎつて、 人に我身をまはされて、あとにつく事、悪し。 ・・・ 枕を押ると云ハ、我実の道を得て、 敵にかゝりあふ時、敵何事にても思ふ 氣ざしを、敵のせぬうちに見しりて、 敵の打と云、うの字のかしらをおさへて、 跡をさせざる心、是枕をおさゆる心也。 ・・・ 敵我にわざをなす事につけて、 役にたゝざる事をば敵に任せ、 役に立ほどの事をバ、おさへて、 敵にさせぬやうにする所、兵法の専也。 これも、敵のする事をおさへん/\とする心、 後手也。先、我は何事にても、 道にまかせてわざをなすうちに、 敵もわざをせんと思ふかしらをおさへて、 何事も役にたゝせず、敵をこなす所、 是、兵法の達者、鍛錬の故也。 枕をおさゆる事、能々吟味有べき也。 枕を押さえるとは、敵に頭をあげさせない、ということ。 後手につくことはよくない。 枕を押さえるというのは、我が真実の道を会得して、敵にかかり合う時、敵が思うきざしを示さぬ内にそれを察知して、敵の「打」とうとする「う」の字も出させず押さえ、何もさせないこと、これが枕を押さえるという意味である。 敵の仕事は、役に立たない事ならさせて置き、役に立ちそうな事は押させて、させないようにすること、これが兵法で重要なことである。 が、敵のすることを、押さえよう、押さえようとするのも、実は後手である。 我が道に専念することによって敵の頭を押さえ、何事も役に立たせず、敵をこちらのいいように振り回すならば、これが兵法の達者であり、鍛錬の成果である。 枕を押さえること、よくよく吟味あるべきである。

「五輪書」奇特と稽古

宮本武蔵『五輪書』  火之巻 序 より抜粋。 ・・・ 先、世間の人毎に、兵法の利を ちいさくおもひなして、・・・ ・・・わづかのはやき利を覚へ、 手をきかせならひ、足をきかせならひ、 少の利のはやき所を専とする事也。・・・ 我兵法におゐて、・・・ ・・・敵をうちはたす所の鍛練を得るに、 ちいさき事、弱き事、思ひよらざる所也。・・・ ・・・命をはかりの打あひにおゐて、 一人して五人十人ともたゝかひ、 其勝道をたしかにしる事、我道の兵法也。 然によつて、一人して十人に勝、 千人をもつて万人に勝道理、 何のしやべつあらんや。能々吟味有べし。 さりなから、常/\の稽古の時、 千人万人をあつめ、此道しならふ事、 なる事にあらず。獨太刀をとつても、 其敵/\の智略をはかり、 敵の強弱、手だてを知り、兵法の智徳をもつて、 萬人に勝所をきはめ、此道の達者となり、 我兵法の直道、世界におゐて、たれか得ん、 又いづれかきはめんと、たしかに思ひとつて、 朝鍛夕錬して、みがきおほせて後、 獨自由を得、おのづから奇特を得、 通力不思儀有所、 是兵として法をおこなふ息也。 世間の人は、兵法の利を小さく考えており、僅かばかりの早さを習得しようと、手を利かせ習い、足を利かせ習い、少しばかりの利の早いところを第一としている。 我が兵法では、敵を打ち果すために、小さいこと、弱いことは、考えない。 命がけの打ち合いにおいて、一人で五人十人とも戦って、その勝つ道を確実に知ること、それが我が道の兵法である。一人で十人に勝ち、千人で万人に勝つその道理をよく練るべし。 しかしながら、常に稽古の時、千人も万人も人を集めて、演習するわけにはいかない。一人で太刀をとっても、敵の智略を推測し、敵の強弱や作戦を察知し、兵法の智徳をもって万人に勝つところを極め、この道の練達者となり、我が兵法の直道(じきどう)を自ら率先して、朝にタに鍛練して磨き通すこと。そうすれば、自由自在に珍しい不思議な神通力が生じる。それが兵法の道を治めるこつである。

「五輪書」大工の棟梁に学ぶリーダーシップ

宮本武蔵『五輪書』  地之巻 兵法の道を大工にたとえ より抜粋。 ・・・ 大工の棟梁ハ、堂塔伽藍のすみかねを覚へ、 くうでんろうかくの指圖をしり、 人々をつかひ、家々を取立事、 大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也。 ・・・ 棟梁におゐて、大工をつかふ事、 其上中下を知り、或ハ床まはり、 或ハ戸障子、或ハ敷居、鴨居、 天井已下、それ/\につかひて、 あしきにハ、ねだをはらせ、猶悪きにハ、くさびを削せ、 人を見分てつかヘバ、 其渉行て、手ぎハ能もの也。 はかのゆき、手ぎハよきと云所、 物ごとをゆるさゞる事、たいゆうを知る事、 氣の上中下を知事、いさみをつくると云事、 むたいを知と云事、 か様の事ども、棟梁の心持に有事也。 兵法の利、かくのごとし。 大工の棟梁は、建築物全般の墨付けを覚え、宮殿楼閣の設計を理解し、人々を使い家を建てる。大工の棟梁も武家の大将も同じことである。 棟梁が大工を使う場合、その腕前に応じて、ある者は床廻り、ある者は戸障子、ある者は敷居・鴨居・天井など、それぞれに振り分け、腕の悪い者には根太(ねだ)を張らせ、もっと悪いのには楔(くさび)を削らせる。人を見分けて使えば、捗どって手際のよいものである。 捗り、手際がよいというところは、何事も緩めず厳しく、実体と機能、気質の上中下をよく知り生かし、勇み勢いをつくり出し、でたらめなことはしない。 このようなことが、棟梁の心持にあることである。 兵法の利も、これと同じである。