偵察

 どうやら敵の陣地近くの目的地に到着したようだ。
ここを拠点としてこれから現地の偵察だ。
このあたりの詳しい実施内容は、記憶が途切れ途切れで思い出せない部分が多い。
山での想定訓練も3週間で1~9想定まであるが記憶がごちゃごちゃになっている。当時俺は20歳だった。それから15年も経っている。
今でも時々記憶が甦ったり夢に出てきたりするが、忘れていることのほうが多い。逆に忘れられないシーンは何度も繰り返し思い出す。
この壮絶な体験は一生忘れることはできないが、極限状態での飛んでいる記憶を何とか思い出せるきっかけを作っていきたい。
偵察活動でよく覚えているのは捕虜になる恐怖だ。
敵に見つからないように接近して情報収集などをするのだが、待ち構えているのは助教達だ。
夜、暗い山の中に発電機の音が聞こえる。
山頂にある神社の敷地内に、敵の宿営地があった。
軽装備になった俺達は敵の人員や車両などを把握するために近づく。
天幕を出入りする人間が見える。中から明かりがこぼれてくる。
中は温かそうだ。11月の夜の山は凍えるほど寒い。
ふと天幕の横に目をやると、紐でぶら下がっている物がある。
バナナがいくつもぶら下がっている。まるでパン食い競争のように。
飢えている俺達は物欲しそうな顔になっていたことだろう。
でもまさか取りには行けない。
茂みから観察していた俺達の側に、いつのまにか敵の助教が音もなく近づいていた。
どこから現れたのか全く分からなかった。そんなにバナナに気を取られていたのだろうか。
蛇に睨まれた蛙のように、逃げることもできず俺達は息を殺していた。
俺の側にいた学生に助教が近づきそっと肩をたたいて言った。
「捕虜」
その場に何名もいた俺達全員が、助教から見えていたはずだか捕虜になったのはその時2名だったと思う。
捕虜になったら悲惨だ。絶対に捕まってはいけない。
のちの想定では同じような場面で、皆散り散りになって逃げた。
捕虜になった仲間を救出しに行ったとき、その悲惨な待遇を見てしまったからである。
捕まりたくない一心で物音も気にせず全力で逃げた。
だが相手はレンジャーの助教だ。ひとたび掴まれれば学生が獣のように暴れても取り押さえられた。その光景を見ながら助教相手に抵抗は無駄だと悟り、とにかく遠くまで逃げるしかなかった。
幸い俺は一度も捕虜になっていないが、捕虜になると裸で外に放置され、見せしめにされ、死ぬほど寒い思いをさせられる。
捕虜になった学生は自力で脱出となるか、銃を使わない隠密処理という格闘方法で救出したりする。隠密処理される敵役の人も大変だ。
ほとんど野生と化した学生に思い切りタックルされるのだから。
偵察及び作戦のための準備が整ったら、拠点に戻って打合せだ。
任務を遂行すればそのまま離脱となる。帰りの帰路に着ける。
この想定の先が見えてきた。
「帰ったら1リットルのポカリスウェットを一気飲みだ」
「ラーメン食うぞ」
そんなことを同期と話した。
それまで永遠にこの山の中で訓練が続くのではないかという不安と悲壮感を覚えていた。それはもちろん錯覚だ。レンジャー養成訓練期間中は常に感じていたことだが、疲労の程度によって酷くなる。
酷いときは、自分が何者で過去どうやって生きて来たか思い出せないし、未来という概念が消えてなくなる。あるのは今日と明日だけ。
なぜか山奥に自分という薄汚い者が存在し、今日と明日しかない世界を似たような仲間と毎日似たようなことをしている。それを永遠に繰り返しているかのような感覚。
未来とは思い出すものだ。苦しいときにはそれが思い出せない。
かつて思い描いた未来。今とは違う現実の可能性。
苦しい時こそ『希望』を忘れたくない。


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