復帰

 駐屯地に帰って来てから2日間は、レンジャー訓練で使った資材や武器の手入れの日となり、3日後に中隊に復帰となった。
生活がまたがらりと変わるわけだが、心身はレンジャーでの苛酷な状況に適応していたため、平穏な日常生活を送る上で支障をきたす日々がしばらく続く。
朝目覚めたとき、自分がどこにいるのか分からなくなったり、すぐに慌てて何かをしようとしたりした。
夜寝るときも、眠りながらも非常呼集に備えてしまう習慣はなかなか抜けなかった。
特に笛の音には敏感だった。
笛の音は非常呼集を意味するため、それに似た音が聞こえる度に、全神経が持っていかれた。
その症状は長く続いた。街を歩いていても似たような音が聞こえると、一瞬で非常呼集時のフラッシュバックが起こった。
空腹感もしみついていた。どれだけ食べても満腹にならない。常に腹が減っていた。体重はどんどん増えていった。
からだのあちこちには山でついた傷や装備品でできたアザが残っていた。
目に見えない内臓器官なども、健康診断の結果で異常がわかった。
特に肝臓が弱っていて、よくなるまで酒はひかえるように言われた。
身体面の後遺症はさほど問題ではない。自然と良くなる。
だが問題はやはりメンタル面だ。レンジャー訓練が強烈だっただけに、時々虚無感や脱力感を感じてしまうことがあった。
レンジャー訓練は辛く耐え難いものだったが、そこで学んだことは非常に大切なことばかりだった。
だがそれらの技術や知恵をもっと磨いていくには、これからどうすればいいのかすぐには分からなかった。
新しく生まれ変わったような違和感を覚え、自分の内面にあるものと自分の置かれた環境とのギャップをどうしようかと考えていた。
大きくジャンプをしたはいいが着地地点が見いだせずに漂っている感じだった。
しばらくはそうやって過ごすことも心身を回復するためには必要かもしれない。しかし、いつまでもそうしてはいられない。とはいえ、レンジャー訓練を終えたからといって中隊にレンジャー専用の仕事があるわけではない。錬成訓練もあるが期間は短く単発的だった。
レンジャー訓練終了後は、自ら求めてレンジャー隊員とはどのようにあるべきかを探していくほかないのである。
今思えば、俺は単なる無知で職業としての自衛官の立場をきちんと考えていなかったことがいけなかったと思う。そのまま、次はまっすぐに陸曹を目指せばよかったのだ。あるいは、退職するにせよ、社会を見据えて就職の準備を進めていくべきであった。自分の職業を極めていこうとする意識、これが俺には欠けていた。まあそんな堅実な奴ならそもそも陸上自衛隊には入隊していないだろうが。
とにかく俺は、中隊に戻ってからは普通科の小銃手、機関銃手として、皆と同じように持続走や射撃、演習訓練が主な仕事となった。


 ← 戻る | 体験記目次 | 続き →  作成中

コメント

人気の投稿