2011年11月13日日曜日

挑戦

レンジャー養成訓練を修了してからは、次への目標を見出せないまま、俺は時間や体力を持て余していた。身体がなまると気持ち悪いので課業外や休日でもジョギングやウォーキングをした。

休日にぶらっと駐屯地を出て何の当てもなく歩いて出かけ、そのまま遠くまで歩いてみたり、夜でも外出してランニングや筋トレをしたりした。

あと戦闘服や迷彩服につけるレンジャー記章で、駐屯地では手に入らないバリエーションのものを、休日に同期と富士学校まで買いに行ったこともある。皆が付けていない珍しいものをほしがったりしたものだ。

また、演習の40km行軍では、レンジャーを出る前と出た後では大違い。身体が軽く感じられ、精神的にも苦ではなかった。苦あれば楽あり、だ。

鬼助教のお陰で怖いと思う人もなくなった。訓練中はやさしくて人徳のある助教や、アスリートのようなかっこいい助教が好きだったが、一部の地獄の大魔神のような助教のお陰で対人プレッシャーに強くなった。

夜は中隊の先輩に連れられてよく繁華街へ遊びに行った。なにしろあの頃はまだ20歳で若かった。一番遊びたい年頃だ。演習で山の生活とか、自由に外出できる身分でもないその反動か、休日は酒を飲んでバカ騒ぎをした。

とにかくあの頃は面倒見のいい先輩のおかげで、楽しく遊んだ記憶がたくさんある。自衛隊に入隊して何だか分からないままにレンジャー訓練を出たが、その後は陸上自衛官として中隊での仕事を先輩に学びながら覚えていった。

レンジャーについてはその後、レンジャー課程を修了している者が参加する練成訓練や、新規養成訓練の助手で参加したりした。だらけていた自分としては、どんなことでもレンジャーに関われるのは嬉しかった。しかしレンジャー訓練が終わって駐屯地に帰って来た時以来、空いている心の穴は埋めることはできなかった。一時は陸曹も目指したが。また、空手道場へ通ったり、車やオートバイを乗り回したり、結婚と離婚も在職中に経験した。阪神大震災では災害派遣で東灘区へ行った。気がつけば3任期、自衛隊にお世話になった。

やがて任期が来て、レンジャー修了者の多くがそうであるように、俺も任期満了退職をした。

ちなみに、それから一般社会で様々な仕事を経験し、多くの人と出会っては別れ、いろんなことに取り組んできたが、心の穴を埋められたと感じたのは自衛隊生活を含めて18年後である。つまり挑戦できるものを、ようやく見い出したということだが、それまではいろんなことをやってもどれも長続きしなかった。肩に力が入りすぎかもしれないが、レンジャー訓練は自分にとってそれほど強烈だったということが、長の年月をかけても証明されたということである。俺の場合は時間がかかってしまったが、これを読んでる貴方はそうならず、自分が命を懸けてもいいとさえ思えるものに出会え、その思いが成し遂げられるように心より願っている。
(レンジャー体験記終了)


▼レンジャー訓練体験記

0 件のコメント:

コメントを投稿